俳人「種田山頭火」と路面電車
 
井上 利男  中国電力(株)  
平成11年電気学会全国大会は,中国支部の山口大学吉田キャンパス(山口県山口市)で開催されます。 「種田山頭火(たねださんとうか)」は,開催地付近で生まれ活躍した著名な俳人です。実は,山頭火が俳人として活躍するきっかけには路面電車が大きく関わっています。(以下略歴参照)
 
西 暦
内  容
1882
山口県佐波郡(現 防府市)に生まれる 
1889
小学校に入学(父は村助役に就任) 
1892
母自宅裏庭で自殺(父は女性と旅行中) 
1896〜1901
周陽学舎(現 防府高校)に入学 
1899年 第3年首席終了後,山口中学校に編入 
1901〜1904
東京専門学校高等予科に入学 
1902年 早稲田大学文科入学 
1904年 神経衰弱により大学中退。故郷に帰る。 
1906
父と酒造を買い取り酒造業を営む 
1909
結婚。(翌年 第1子もうける) 
1913
文芸活動本格化。ペンネーム「山頭火」を初めて使用 
1916
酒造業破産。(父は女を連れ逃亡) 
山頭火は妻子を連れ熊本へ。熊本で古書店開業。 
1920〜1922
離婚。単身上京。(その後,一ツ橋図書館,東京市役所,額縁行商と職を変える) 
1923
関東大震災に遭遇。離婚した妻の元(熊本)へ。 
1924
泥酔いで熊本市電に跳ねられそうになる。 
この時新聞記者に連れられ寺へ。寺男となる。 
1925
出家得度し,観音堂の堂守となる。 
1926〜1931
九州,山陽,山陰,四国へ行乞。 
1932〜1937
川棚温泉での結庵に挫折,小郡で結庵。 
(庵を拠点に,全国へ旅に出る) 
1938
湯田温泉に結庵。(以後近畿,東海,木曽へ旅) 
1939〜1940
松山市で結庵。(以後中国,四国,九州へ旅) 
1940年10月庵で脳溢血により死亡。(59歳) 

「山頭火」を,名も無き酔っ払いのまま踏み潰したかもしれない路面電車もまた,その後逆風に曝されることとなりましたが,時を経て蘇ろうとしています。
 さて,かの山頭火と因縁のある熊本市電では,平成9年夏に日本初のLRVが導入されました。そして,当支部内の広島電鉄にも,全国で2番目のLRVが導入されます。
 広島市内では今も市民の足として路面電車が活躍しています。(各地で不要となった路面電車の車両も,昔の懐かしいプレートを付けたまま現役で活躍しています)この,路面電車の新しい仲間として,乗り降りの容易な最新式の超低床式LRVが加わることが決定しています。

 最初の車両は,山口で全国大会が開催される頃に皆様の前に登場する予定です。低床という長所を活かし,新しい可能性を伸ばしていくことを期待しています。
 挫折や批判の中にあって,消去法の結果社会から脱落し,その生存すら脅かされながらも生き抜く姿は,理想とは程遠いものかもしれません。しかし,情報化社会の中,不確かな情報もたちどころに伝わり,間違った評価が下される可能性の高い現代にあっては,むしろ重要な事かもしれません。思いもよらず逆風に曝されながらも独自の人生を演じ続けた生きざまと,時を経て再び脚光を浴びる姿に勇気づけられる方も多いと思います。 最後になりましたが,おいでませ山口へ。