信太克規(佐賀大学名誉教授)
計測とは「基準との間の定量的な比較」であるとすれば、有史以来、様々な事柄に関し、自分を基準として他人を比較する行為を行ってきたという点で、計測技術の歴史はきわめて古い。 電気の分野であれば、ギリシャの哲学者タレス(紀元前500年頃)の静電気が有名であるが、定量的な電気計測の起源とはいいがたい。 しかし、この摩擦起電力、あるいはソクラテスの時代から知られていた磁石の吸引力等の、目には見えない不思議な力の解明のために、哲学者たちが様々な観察を行ったことは、電気計測の歴史において貴重な行為であった。 (とはいえ、「計測」という概念そのものは今日でもなお、哲学者には価値あるものとは見られていないが。)
静電気の存在を知るための、いわゆる、ライデンびんを経て、18世紀にカントン(英)やベネット(英)による検電器という、計測器の原点のようなものの出現で、始めて、ある種の定量的な電気計測実験を可能にしたといえる。 その結果、北イタリア・コモ出身のボルタによる、いわゆる蓄電器の提案が、紆余曲折はあったが、今日の電圧、あるいは電気量の概念の確立へと導いた。
一方、電気を発生させる側に関しては、電気魚やかえるのような生体の電気的現象から研究が始まった点は興味深い。 19世紀初頭のボルタによる電池の発明と、その後のゼーベック(独)の熱起電力現象の発見は、電圧や電流の概念を確定し、今日の電気計測の基礎公式であるオーム(独)の法則の出現へとつながっていく。
1831年のファラデー(英)による電磁誘導の発見が電気計測の歴史上で最も重要な発見の一つであることは誰もが認めるところである。 しかし、この大発見には検流計という測定器が不可欠であったことを忘れてはならない。 ガルバノメータと称する、微小電流の有無を知るためのこの計器はガルバーニ(伊)の研究を起点としているが、電気計測器の真珠といわれる、ホイートストンブリッジの発明者ホイートストン(英)や、鏡検流計開発のケルビン卿(英)の貢献も大きい。 この後、いわゆる、可動コイル形、可動鉄片形、電流力形等の各種指示計器へと電気測定器の歴史は進んでいく。 さらに、ブリッジ回路や振動を利用したものからオシログラフへと発展していく。
電気計測に不可欠な参照信号の確立のための電気標準確立の研究も電気単位の絶対測定と電気標準器の維持確立という両面から進められた。 いわゆる、絶対測定は力学量から電圧、電流、電気抵抗を決定する作業であり、19世紀半ば以降、天秤の原理を利用するなどして電圧、電流を力学量と比較する研究、あるいは計算から電気容量を決定できる構造のクロスキャパシタと称する装置により最終的に電気抵抗を決める研究が精力的に行われてきた。 また、安定な電気標準維持器としては、カドミウム標準電池やマンガニンあるいはニクロムを線材とした同心二重円筒巻線形標準抵抗の研究が長く行われてきた。 ウェストン(米) はカドミウム標準電池とマンガニン抵抗線材のどちらの実現にも関わったすばらしい研究者であった。 しかし、長年のこれらの原器的発想に基づく電気標準体系は近年、一定普遍の物理現象である量子効果を応用した、交流ジョセフソン効果電圧標準および量子化ホール効果抵抗標準に取って代わられた。 標準電圧維持器としての標準電池もツェナーダイオードを用いたツェナー標準電圧発生器に取り変わっている。
直流、低周波の電気量測定から始まった電気計測の歴史も、19世紀の後半から20世紀始めに、大変動が発生する。一つは、ヘルツ(独)の電磁波の存在の実証とマルコーニ(伊)による無線通信の実験の成功であり、他方は、フレミング(英)によるエジソン(米)効果という整流作用の実現である二極管の発明である。 これらの発明により、世の中は一気に高周波領域とエレクトロニクス(電子工学)の計測分野、いわゆる電子計測へと進んでいく。 第2次世界大戦をはさんだ時代から急速に発展した、レーダーを含むマイクロ波測定技術は同時に導波管等の独特の計測部品を出現させ、計測範囲は更に光の領域へと拡大していく。 一方、二極管から出発した真空管は20世紀半ばに誕生したトランジスタに取って変わられる。 その半導体技術は更に進化し、超小型、超高速、大容量というディジタル信号処理計測機器の世界を実現し、今日に至っている。
以上、電気計測の歴史を概観すると、始めはゆっくりと発展してきた流れがこの50年ほどの間に一気に加速され、急激な計測の質的変化と計測領域の拡大を見せていることが分かる。
100年前の明治初期に電気学会を創設した志田林三郎が当時の設立総会で今日の電子情報化社会を予言した事は著名であるが、これから100年の電気計測技術の展開を、この21世紀初頭に予測することは至難のわざと思われる。(2004.6)